日本の英語教育に物申す

2019/11/19

今日は医療から少し離れて、日本の英語教育に一言申し上げることにする。

大学入学共通テストにて2020年度から導入が予定されていたTOEIC等の民間試験が見送りになったとのこと。文科省、試験団体、教職員から学生まで、多くのステークホルダーを巻き込んだ騒動になったようだが、この議論には当初からそもそも論が欠落しており、関心を払う価値すらなかったと考えている。

そもそも、言語はコミュニケーションのツールに過ぎず、将来的に必要かどうか分からない英語について、そこまで熱く議論する必要はないのだ。母国語である日本語は、思考を深めるために必須の基礎言語であり、人間として成長するために国語教育は欠かすことはできない。個人のアイデンティティ形成にとって、国語教育は重要なピースの一つなのだ。

一方で、バイリンガルであるならばまだしも、第二言語として覚えた言語には、アイデンティティ形成にとって大きな威力はない。したがって、第二言語としての英語教育は必須とすべきではないのだ。

第二言語は、必要な人だけが覚えればいいのだ。必要性に迫られれば、それほど苦労せずとも必要に応じたレベルの言語は習得できる。

必要性に迫られるない、「将来的に必要かもしれない、できたら便利」という程度では多くの学生が苦戦することになる。

必要性に迫られる状況にはいくつかあるが、まずは日本語をほとんどしゃべることができない彼氏・彼女を作ることだ。相手とのコミュニケーションを深めるために進んで努力をすることだろう。

次に有効なのが、リーディングに限られるが、仕事や趣味で必須となる情報収集を日本語以外で行うことだ。これには若干の不便さと苦痛が伴うため挫折してしまう可能性はあるが、本当に極めたい仕事や趣味だとしたら日本語だけでは不十分なはずだ。そこに必要性はあると信じている。

例えば、医療系の情報収集では、米国FDA、英国NICEやNHS、その他各種学会のホームページ、医療系ニュースサイトを閲覧することで、日本語では得られない情報に相当量触れることができる。仕事にも必ず役立つはずだ。

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